【魔の大地】3/19 [大自然]
東北震災被災者の方々でご不幸がありましたご家族、ご親族の皆様に対し先ずは謹んでお悔やみ申し上げます。
そして、まだまだ頑張っている方々。
一日オニギリ一個。 500mlペットボトルの水を三人で一日一本の支給で耐えている皆様。
お疲れ様です。
自分には、これしか言えません・・・。
震災直後から、ほとんど仙台中心地に滞在し続けておりましたが、一度だけ太平洋側海岸に車で行きました。
従業員の家族が数十人も行方不明で仙台市内のガソリンがほぼ不売、携帯も繋がらない(連絡が取れない)ため会社の車を出して本人と一緒に行きました。
結果、親御さんの生存が確認出来て胸を撫でおろしましたが、その際海岸でなんとも言えない光景を目にしました。
流石に見てはいけないモノを見た時にはコンデジのシャッターは押せませんでした。
元々、のら人は3/11を有給にして前日夜に仙台入り、その後8人(東京から組4人、仙台から組4人)で蔵王に行き一泊し滑る予定でした。
そして、蔵王温泉スキー場で被災しました。
被災が14:45頃だったと思いますが、その30分前位にはリフト上で当日山形駅から東京に帰る新幹線「つばさ」で米沢牛をつまみにビールとシャンパンだ!と東京帰り組で意気込んでいました。
8人は最後は3グループに別れて行動していましたが、偶然ゴンドラ、リフトに取り残される事もなく雪崩に遭遇することも無く全員生還出来ました。 が、内2人はスノーモービル救助隊に救出されました。
ゲレンデで携帯が全滅(不通)だったため、宿泊した旅館に戻り固定電話を借りて会社や家族に全員でかけまくりましたが完全に不通でした。
その後有給で翌日は土日で休みとはいえ、疑うこともなく最も至近に事業所があり震源地近辺である仙台へ車を走らせました。 高速不通、至近道峠不通、迂回で通常一時間半のところ5時間以上かかりました。
3/13 夜23頃だったと思いますが、やっと電気が繋がりました。
丸二日以上、夜は真っ暗闇の世界でした。
ライフラインは水道以外不通。 寒い夜でした。
業種上、事業所には避難者が数十人おりました。
避難者達の朝、昼、晩ご飯の準備をし深夜も電話がバンバンかかって来るので丸二日間は、ほとんど不眠不休でした。
少し落ち着いた一昨日あたりから出て行かれた避難者の方々からのお礼のメールが幾つかきており従業員等は、また元気を取り戻しつつあります。
しかし、疲れ果て倒れてしまった従業員もおります。
東京に直ぐに帰る手段も無く、やっと本日の山形→羽田便を二日前に押さえましたが、当日朝急遽「緊急車両」登録書と車が手に入りエアーはCXLして東京組4人で車で帰ることになりました。
コンデジが電池切れで以下本日携帯で撮ったものです。
高速道路は「緊急登録車両」以外走れません。走っている車はほとんど自衛隊やトラックです。
また、地震の影響で道路の凹凸が凄まじく東北道全線50キロ制限がかかってます。
福島IC近辺 見る角度によっては眼鏡雲の様な・・・不気味な雲。 放射能の影響か。
レストラン休止中
被曝してませんよ!証明書。
途中、郡山ICで一人拾った。彼は数日間郡山に業務HELPで滞在。会社からは、「被曝」の疑いがあれば東京に帰れない旨通達を受けていた。 で、前日検査を受けて証明書を発行して貰ったのだ。
今、福島では強い被爆者は放射能を保ち、その人間に近づく人間が更に被曝してしまう二次、三次被害が続出しているようである。
まるで、インフルエンザのようである。
昨日、少し余裕が生まれたため従業員用に賄いカレーライスを作ってみた。
賞味期限ギリギリの「笹かまぼこ」を乗せてみた。
少しだけ笑ってくれた従業員の女の子の笑顔がせめてもの救いだった。
そして、まだまだ頑張っている方々。
一日オニギリ一個。 500mlペットボトルの水を三人で一日一本の支給で耐えている皆様。
お疲れ様です。
自分には、これしか言えません・・・。
震災直後から、ほとんど仙台中心地に滞在し続けておりましたが、一度だけ太平洋側海岸に車で行きました。
従業員の家族が数十人も行方不明で仙台市内のガソリンがほぼ不売、携帯も繋がらない(連絡が取れない)ため会社の車を出して本人と一緒に行きました。
結果、親御さんの生存が確認出来て胸を撫でおろしましたが、その際海岸でなんとも言えない光景を目にしました。
流石に見てはいけないモノを見た時にはコンデジのシャッターは押せませんでした。
元々、のら人は3/11を有給にして前日夜に仙台入り、その後8人(東京から組4人、仙台から組4人)で蔵王に行き一泊し滑る予定でした。
そして、蔵王温泉スキー場で被災しました。
被災が14:45頃だったと思いますが、その30分前位にはリフト上で当日山形駅から東京に帰る新幹線「つばさ」で米沢牛をつまみにビールとシャンパンだ!と東京帰り組で意気込んでいました。
8人は最後は3グループに別れて行動していましたが、偶然ゴンドラ、リフトに取り残される事もなく雪崩に遭遇することも無く全員生還出来ました。 が、内2人はスノーモービル救助隊に救出されました。
ゲレンデで携帯が全滅(不通)だったため、宿泊した旅館に戻り固定電話を借りて会社や家族に全員でかけまくりましたが完全に不通でした。
その後有給で翌日は土日で休みとはいえ、疑うこともなく最も至近に事業所があり震源地近辺である仙台へ車を走らせました。 高速不通、至近道峠不通、迂回で通常一時間半のところ5時間以上かかりました。
3/13 夜23頃だったと思いますが、やっと電気が繋がりました。
丸二日以上、夜は真っ暗闇の世界でした。
ライフラインは水道以外不通。 寒い夜でした。
業種上、事業所には避難者が数十人おりました。
避難者達の朝、昼、晩ご飯の準備をし深夜も電話がバンバンかかって来るので丸二日間は、ほとんど不眠不休でした。
少し落ち着いた一昨日あたりから出て行かれた避難者の方々からのお礼のメールが幾つかきており従業員等は、また元気を取り戻しつつあります。
しかし、疲れ果て倒れてしまった従業員もおります。
東京に直ぐに帰る手段も無く、やっと本日の山形→羽田便を二日前に押さえましたが、当日朝急遽「緊急車両」登録書と車が手に入りエアーはCXLして東京組4人で車で帰ることになりました。
コンデジが電池切れで以下本日携帯で撮ったものです。
高速道路は「緊急登録車両」以外走れません。走っている車はほとんど自衛隊やトラックです。
また、地震の影響で道路の凹凸が凄まじく東北道全線50キロ制限がかかってます。
福島IC近辺 見る角度によっては眼鏡雲の様な・・・不気味な雲。 放射能の影響か。
レストラン休止中
被曝してませんよ!証明書。
途中、郡山ICで一人拾った。彼は数日間郡山に業務HELPで滞在。会社からは、「被曝」の疑いがあれば東京に帰れない旨通達を受けていた。 で、前日検査を受けて証明書を発行して貰ったのだ。
今、福島では強い被爆者は放射能を保ち、その人間に近づく人間が更に被曝してしまう二次、三次被害が続出しているようである。
まるで、インフルエンザのようである。
昨日、少し余裕が生まれたため従業員用に賄いカレーライスを作ってみた。
賞味期限ギリギリの「笹かまぼこ」を乗せてみた。
少しだけ笑ってくれた従業員の女の子の笑顔がせめてもの救いだった。
2011-03-19 22:19
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お帰りなさい。
心配していました。
あれから1週間、音沙汰なしでしたから。
大変な経験をしてしまいましたよね。
ご無事でなによりでした。
あまりの惨状にシャッターを切れなかった
のら人さんのお気持ちはよくわかります。
被災された方は元の生活に戻れないでしょうが、
せめて安心して暮らせるようになってほしいですね。
by nousagi (2011-03-20 16:52)
あれから10日あまり、大変な苦労をされているようですね。 まだ復旧どころか、片付けもままならないとは思いますが、どうか頑張ってください。
by おど (2011-03-20 17:26)
なるほどそういう訳で仙台に居たのですか。
ゲレンデで地震に遭ったのですね、ご無事で何よりでした。
それにライフラインの遮断、避難者のお世話と大変な経験をされましたね。
お疲れ様でした。のら人さんの職業がなんとなく分かりました。
by tochimochi (2011-03-20 22:51)
nousagi様
ただいま、です。ご心配頂きありがとうございます!元気です。
仙台中心地はかなりの業者が入り込み「復興」の足音が聞こえてきました。しかし、海岸沿いの被災者の方々は現在でも被災ピークが続いています。例えば厳冬期の北アルプス縦走中、稜線上のど真ん中で遭難している状態に近いかもしれません。一つ言える事は安易に素人がボランティアには行かない方が良い、という事です。ガソリン、軽油が全くありません。仙台駅前は違法駐車、乗り捨て駐車だらけです。燃料が尽きたため、です。 今週も社命で行くかもです。
by のら人 (2011-03-21 10:59)
おど 様
お気遣いありがとうございます。
仙台中心地でもライフラインの中でも「ガス」だけは向こう一ヶ月以上復旧見通しが立っていません。「お風呂・シャワー」はほとんどの家庭が「都市ガス」からです。 故に自分も9日間シャワーさえ浴びていませんでした。頭や体が痒くて堪りませんでした。一部、プロパンガス利用の家庭がお風呂を利用できたらしいですが、そのガスタンクも空になり次第次の補給の見通しは立っていないとの事です。決死の覚悟で冷水シャンプーする方々もいますが、自分は心が折れる恐れがあったので「痒い」ままで通しました。
by のら人 (2011-03-21 11:14)
tochimochi 様
ご心配いただきましてありがとうございます。
現場の従業員はほとんどのら人の事を知りませんので本社のアルバイトのオジサンで通していました。(苦笑) 毎朝7時位から駅前のダイエーに数人で並びますが既に数百人の行列が出来ていました。マイナス二度で雪や氷雨が降っている中、5時間以上並ぶ日もありました。動ければまだ良いのですが「じっと」しているのは辛かったです。仮に車でボランティアに行くなら帰りの燃料を確実に手当てする(まず無理です)、最低1ヶ月以上の自分の食料・水分を手当てする、シャワー無しの覚悟をする、自分が病気になった際の薬の手当てをする、その上で自分が被災者に何が出来るか明確化する等々、色々考える程個人では無理かなと思います。
by のら人 (2011-03-21 11:39)
ともかく、ご無事で何よりです。 のら人さんご自身が、現地で遭遇し、たいへんなご苦労されたかと察します。 私のお手伝いしている会社も、岩手に事業所があり、工場は被害をうけましたが、社員の皆さんは全員無事でしたので安堵しています。 あまりにも多くのことが降りかかり、心身も疲弊されたと思います。 復旧への対応もあるとは存じますが、なにとぞお体だけは十分に留意され、対処していただくことを願っています。 私も自分なりにできることをしたいと思っています。 頑張ってください!
by Jetstream777 (2011-03-21 20:23)
Jetstream777 様
ご心配頂きありがとうございます。
そうでしたか・・・、岩手に。皆さん無事でよかったですね。
多分、現地での活動は10日間位が一般人の限界かなぁ、と思います。
アルプス縦走でもせいぜい3泊~4泊ですよね。自分なんかは山に一泊でさえお風呂が恋しくなります。^^;
ボランティア、報道その他復旧作業で1ヶ月以上滞在される予定の方々にもお会いしました。ゼネコンの方でしたが、一言。凄かったです。
完璧な山装備の集団でした。勿論テント泊装備で例え屋内の宿泊先や布団等を提供されてもそれを使用せず、寝袋で寝るんだそうです。
山岳警備隊のようなスペシャリストが山以外にもいるんですね。
by のら人 (2011-03-22 20:59)